大阪高等裁判所 昭和58年(う)663号 判決 1984年6月07日
主文
原判決を破棄する。
被告人両名は、いずれも無罪。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人らの弁護人丹治初彦及び同佐伯千仭共同作成の控訴趣意書記載のとおりであつて、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事高橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張(控訴趣意書記載の第二及び第三)について
論旨は、要するに、原審は、森澤武行の検察官に対する供述調書を証拠として採用したが、(1)右は、本件についての神戸地方裁判所昭和五五年一〇月二七日判決(以下一次一審判決といい、右判決裁判所を一次一審という。)を破棄差戻した大阪高等裁判所昭和五六年一一月二七日判決(以下一次二審判決という。)の拘束力に基づいてなしたものと解されるところ、一次二審判決の拘束力は、原審があらためて独自に右供述調書の証拠能力の有無を判断すべきであるという点にあつて、右供述調書の証拠能力を認めてこれを採用すべきであるという点にはないのであり、しかも、右供述調書は刑事訴訟法三二一条一項二号による証拠能力がないのであるから、原審はこれを証拠として採用することができないのであつて、原審の右の措置は右法条及び裁判所法四条の解釈、適用を誤つて訴訟手続の法令違反を犯したものであり、また、(2)原審において右供述調書を採用すべきものとしても、原判決は、一次一審判決が被告人らに無罪を言渡しているのに、その他の重要な証拠につき、直接審理をすることなく、一件記録のみによる判断により一次一審と異なる評価をして、被告人らに有罪を言渡したものであつて、右は、直接主義の原則(刑事訴訟法三二〇条)に違反し、ひいて憲法三一条に違反するもので、訴訟手続の法令違反を犯したものであるというものと解される。
よつて、考察するに、所論(1)につき、一次二審判決が、一次一審において右供述調書を証拠能力なしとして却下したのは違法であり、これを採用すべきであることを理由に一次一審判決を破棄して差戻したものであることは、一次二審判決の判文上明らかであるから、原審は、一次二審判決の拘束力により、右判決の右判断を正当とするか否かにかかわらず、これを採用しなければならないものであるから、所論の原審の措置は正当であると認められ、その他所論にかんがみ検討しても右判断を左右するに足りないので、所論は採用できない。また、所論(2)につき、一次二審判決は、右のように一次一審判決の基礎となつた訴訟手続の一部に違法があることを理由に右判決を破棄差戻したのであつて、原審は、右の違法と判断された部分を除くその余の手続について公判手続の更新に準ずる手続をすれば、一次一審における証拠をそのまま証拠として用いることができると解するのが相当であるところ、原審の手続に右の点において欠けるところはないと認められ、その場合、所論の引用する最高裁判所昭和三一年七月一八日大法廷判決の趣旨が尊重されるべきものであることは所論のとおりであるけれども、原審は、新たに、右供述調書を取調べ、被告人質問をも行ない、これらと一次一審における証拠とを総合判断したものであるから、所論の違法はないと認められ、所論は採用できない。
論旨は理由がない。
控訴趣意中原判示の暴行についての事実誤認の主張(控訴趣意書記載の第四)について
論旨は、原判決の被告人両名の各暴行及び傷害認定の理由の項にいう第一暴行、第二暴行及び第三暴行の各事実はなかつたのに、これらを積極に認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。
よつて、所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せて考察するに、原判決が被告人らの各暴行及び傷害認定の理由の項において検討し、また、当審において取調べた右各事実についての積極、消極の各証拠につき、特に供述証拠に関しては、供述者の、本件との関わりからみた立場、事実目撃の機会の有無、認識の正確さ、供述の正確さ及び供述内容の自然性、合理性並びに供述調書における供述録取の正確性など、信用性判断の諸要素に留意しつつ仔細に検討したうえ、これらを総合すると、原判示の事実認定は、第一暴行については、被告人松井鉄男が、原判示のパンフレツトを丸めて、これを内藤丈雄の顔面附近に二、三回突きつけ、少くともそのうち一回その先端を同人の顎に触れさせたこと(意図的に右内藤の顎を突いたものでなく、同人の喉元に突きつけたにすぎず、結果的に同人の顎に触れたにすぎない。)、第二暴行については、同被告人が、右内藤が着座していたメモ台付パイプ椅子のメモ台部分を両手で持つて、右椅子の前脚部分を二回位床から持ち上げて落すことにより、同人の身体を揺さぶつたこと(右内藤に肉体的、心理的苦痛を与える程のものではない。)、第三暴行については、右内藤が右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上りかけたところ、被告人樫木修二が右内藤の右手首を握つたこと(右内藤の転倒との間に相当因果があるとは認められない。)、右の範囲内でこれを肯認することができ、被告人らの右行為がなかつた旨の所論は採用できないのであるが、第一暴行につき、被告人松井が右パンフレツトを右内藤の身体に当てようとして突き出したものであり(原判示は右の趣旨であると解される。)、第二暴行につき、被告人松井の行為が右内藤に肉体的、心理的影響を与えたものであり(原判示は右の趣旨であると解される。)、第三暴行につき、被告人樫木が右内藤の右手首を手前に引張り、そのため同人を右椅子もろともPタイル張りの床に転倒させた旨の原判示の各事実認定は、これを肯認するに足りない。そして、当裁判所の右判断の理由は概ね一次一審判決が詳細に判示するところと同一であるが、第一暴行及び第二暴行については、原判決は、一次一審判決と同一の証拠により右と異なる事実認定をしたものであるが、原判決が右認定の理由について判示するところを考慮しても、右判断を左右するに足りないのであり、また、第三暴行については、原判決は一次一審における証拠に森澤の前記供述調書を加えて、これらにより二次一審判決と異なる事実認定をしたものであるが、右供述調書は、文言上は被告人樫木が右内藤の右手首を引張つた旨断定的に述べており、原判示に沿うものであるけれども、その内容を仔細に検討し、同人の一次一審及び当審における各証言を併せて考えると、同人が、同人の一次一審証言と同様の同人の推測するところを含めての結論部分を断定的に述べたか、右のように推測を含む旨述べた同人の原供述を断定的な供述であるかのように録取された疑いがあり、実質的には同人の一次一審証言と同様の証拠価値を持つにすぎないものと評価されるから、右判断を左右するに足りるものでなく、その他原判決が右認定の理由について縷々判示するところを考慮しても、右判断を左右するに足りない(なお、第三暴行につき、一次一審判決は、内藤証言には若干不正確な表現があることが散見され、その証明力については慎重な吟味が必要である旨判示するに止つているが、右内藤証言は、右のような内容の不自然、不合理な点があるうえ、同人が被告人らに対して不快感を懐いていると認められることなど同人の立場をも考慮すると、原判示のように詳細、具体的な供述があるからといつて、直ちに信用することができない。)。
そうすると、原判決には第一ないし第三暴行につき右に判示した限度で事実を誤認しているといわざるをえないのであり、被告人樫木の第三暴行における行為は傷害罪を構成せず、また、被告人らの本件行為が前記のように、有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であること並びに原判示の本件に至る経緯に徴すると、被告人らの各行為は未だ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行にあたるものとは認めがたいのであつて、結局被告人らに本件各犯罪の成立を認められないことになるので、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。
よつて、その余の控訴趣意(被告人両名につき本件各犯罪の共謀共同正犯を認めた点についての事実誤認と法令適用の誤りの主張)についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によつてさらに判決することとする。
本件公訴事実は、「被告人両名は共謀のうえ、昭和五一年六月三日午後二時すぎころから午後三時ころまでの間、神戸市生田区下山手通五丁目一番地兵庫県庁別館県民サロン室において、同和対策事業の一環として兵庫県が実施している同和地区中小企業振興資金の融資申込受付の職務に従事していた同県民生部同和局企画調整課企画調整係内藤丈雄に対し「同和対策申告書を提出させることは差別ではないか」などと口々に怒号しながら所携のパンフレツトで数回同人の顔を突き、同人が着座していた椅子を持ち上げて揺さぶり、更に、右椅子から立ち上がろうとした同人に対し、口々に「どこへ行くんや」などと怒号しながら、同人の右前腕部をつかんで引張り同人を椅子もろとも転倒させるなどの暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害するとともに、その際、右暴行により同人に加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷の傷害を負わせたものである」というのであるが、前記説示のとおり、被告人らが暴行をしたとは認められず、結局、本件公訴事実については犯罪の証明がないから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により被告人らに対していずれも無罪の言渡をする。